違いもあり、共通点もある2歳児と3歳児

2歳児の発達段階と3歳児のそれとの違いを感じられたお話をさせていただきましょう。うまく伝えられるか自信がありませんが…。

お弁当を早々と食べ終えて積木で遊び出した2歳児Jくん。車やさんができたようです。積木をまっすぐ並べてその上に車のおもちゃ、みごとな縦列駐車です。Jくんは車が大好きなので、その思いが表れているようです。3歳児Kくんがお買いものしてうれしそうです。

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素敵な車やさんのそばで何やら文句を言っているTHくん。「あ、あ、THちゃんが積木でトッキュージャーの電車作るのに!あー!!」と言っています。自分よりも先にJくんが積木を使ってしまったことが不服なようです。保育者が「Jくんはお弁当を早く食べ終わったんだから、先に積木を使っていいよねえ。」と言いますが、「だって、だって…。」と自分が使いたかった思いを何度も何度も繰り返し言います。押入れの中にはまだ半分以上積木があるのですから、それを使えばよいとすすめましたが納得しないTHくんです。積木を全部使うつもりだったのでしょうね。

そこに3歳児TWくんの援護射撃!Jくんが使っている積木を取ろうとします。保育者が「いけないと思うなあ…。」と言うと取ることはやめ、こんどはTHくんとTWくん二人共、車やさんで車を次々買い始めました(というか、これ、次はこれ…ともらっていくという感じでしょうか…)。保育者は、トッキュージャーは諦めてやけっぱちか、または買い物を尊重した方がよいと考えたのか。ところが、次の発言が飛び出します。

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「車売り切れたから、トッキュージャーの電車作ろう!!」

積木の上に並んだ車がすっかりなくなったので、車やさんはおしまいとなり、積木を自由に動かすことができるという考えでしょうか。

そんな風に考えるのか…と感心するというか、大人は、少なくとも私は、そんな風には考えられないなあと思いました。子どもは、大人とはやっぱり違うのです。

積木は自分が使うものと思いこむと他にも使いたい人がいることなど全く考えない自己中心性、車がなくなってしまえば積木を動かしてもいいと考える、これも自己中心的といいますか…。反面、車やさんの車を買ってしまえば積木を動かすことができると考えることは自己中心的とも言えますし、柔軟性といいますか、発想の豊かさとも言えるように思います。

3歳児二人は積木を早速動かし始めましたが、Jくんはそれをにこにこ笑って見ていました。3歳児が積木を転がすと喜んで一緒になって転がしたりもして…。

積木を並べ、車のおもちゃを並べて車やさんを作ることができたことで満足した2歳児Jくん。3歳児が文句を言っていることも自分のこととは全く思っていない様子でした。車をお兄さんたちがどんどん持って行くことも嫌ではなかったのでしょう、このことも何だかわからないけれど、お兄さんたちが自分の車やさんに来てくれてうれしかったのかもしれません。それが2歳児。わからないから良いんですね、何でも分かってしまうこと必ずしも幸せではないのです。

3人共がやりたいことができ、何だか楽しいムードが漂うという結末でした。

2歳児と3歳児の共通項は、何でもありの適当な感じ、というか何でも受け入れられる多様性といいますか…。

いつもこんな平和な、素敵な結末ばかりではないでしょうが、2歳、3歳の世界は、確かに大人の世界とは違っていると思います。だからこそ、子どものすること、子どもが思うこと、感じること、考えること…を大事にしたいと思います。