観察力というのでしょうか。子どもたちは歩いているとき、道草している時にけっこう細かいことに気が付いています。そして、それを言葉で表現しています。
道端で取ったノゲシの葉っぱに水たまりの泥水をチョンとつけます。「泥(水)がつかない…。」と不思議そうに見せてくれました。葉っぱが水をはじいているのです。つくと思ったのにつかなかった。日々いろいろなことをして遊んでいるから感じることができるのです。
道草しながらいろいろな所で見つけては取っているカラスノエンドウのマメ。たくさん集めて喜んでいたのが、取ると鞘を開けるようになりました。お得意の分解です。
一人がやると他の子どももやってみます。
マメがきれいに並んでいるのです。何とも言えない恰好で並んでいますよね。次々あけるとマメが膨らんでいたりぺったんこだったり、大きかったり小さかったり…。
町なかでよく見るヒイラギモクセイ。チクチクして触ると痛い(それほどでもないですが…)と分かっています。
ところが、触っても痛くない。奥の古い葉っぱは痛いけれど手前の葉っぱは痛くないと確認していました。
今日は、暑いから日陰を歩いて帰ろうと話ししばらく歩いていくと…。
ある場所で「行く時は日陰じゃなかったのにね…。」と同じ場所で日向の時と日陰の時とがあると気が付いた子どもがいました。また、「先生の陰小さいよ。」と影のことも話題になりました。
影のことは「短い」とか「全体の形」等、実物と比べて感じたことを話すことが少なくありません。
身近な自然が子どもたちに様々なことを無言で教えてくれています。